十五夜
9月9日、暦では重陽の節句。たまたま猫のモンモの
命日で好きだったチーズに肉を乗せて写真に供え、
小菊を手向けてやりました。そのとき、小紋がドアへ
走って「誰か来たよ」と知らせます。Aさんが小鉢を
くださって「名月が昇ってますよ」と…。
デジカメを手に東側階段へ出て構えたまではよかった
のでしたが、スープ鍋の火の消し忘れが気がかりで
急いで引き返しました。「名月が火事の元なんてこと
になっちゃ恥ずかしいものね」
十五夜に新米でお餅をついて供えたのはもう大昔の
記憶です。田舎での行事を父は大切にしていました。
その娘は都会の星屑となり、それでも十五夜には
ススキ、リンドウなど秋草を生け、月見団子を供えて
いたものです。いつしか手間を惜しんで今では
しきたりどころか普段のままが精一杯というところ
名月や故郷遠き影法師 漱石
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