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2006/03/11

梅見の道連れ その2

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御苑の中の池と下の池の間の橋を渡ると、そこはサンシュユの黄金色
が青空をバックに煌いていました。老紳士の質問に応えなければと思いました。
「あれは、NTTの電波塔です。できてからもうずいぶん経ちますよ」
「すると、あの格子風の窓の中には人が働いているのですか」
「さあ、よく知りませんが、自動制御装置で大勢の人はいないそうです」
「今日初めてここへ来たもんですから、ついお尋ねしました。広いですね」
「そうですの、花の季節はもう大変な人出です。お天気でよかった・・・」
「よく来られるのですか」
「ええ、近いのでおりおりに、花や小鳥を見に来ています」
「散歩がてらに来られるのがなによりです」
「環境省の所轄になってからは高齢者割引はなく、障害のある人だけは無料
で入苑できます」
「私、障害者ですよ。今日は手帳を持って来なかった。しかし、安い料金だもの
少しも惜しくはありまん」
「あ、すみません。左のおみ足が不自由ですの?」
「そうです」「杖を持たれなくてもお歩きになれる?」
「ハイ。大丈夫です。障害を抱えて長く長く生きて来ましたから」smidori_006

「日本庭園を歩かれましたか」
「いいえ、見たいですね」
<私>は時間に余裕がありました。一緒に歩いてあげたいと思ったのです。
 ツツジ山の方へでようとして、ドキンとして立ち止まりました。サンシュユの木が
下の池の隅に根こそぎ倒れ、花をつけたまま水に漬かっていたのです。
「あぁ、可哀相だね、どうしたんだろう。いのちあるものを!」
「倒れてまだあまり時間が経ってはいないようです。管理事務所に知らせましょう」
 とはいえ、事務所は遠い距離です。ツツジ山沿いにゆっくりと歩を進めながら
老紳士の話は障害を受けた”時”へと遡りました。smidori_005
>>>「私は赤坂生まれです。少年時代に海への憧れが強くて、17歳のとき船舶会社
に入りました。O商船です。第二次大戦末期です。徴用されて輸送船団に乗り組みました。
昭和19年、台湾沖で敵潜水艦に襲われ、魚雷命中でした。瞬間、海中に投げ込まれた
のですが、板切れに掴まり、意識を失ってしまいました。船団は次々に沈没、乗組員の
殆どは水漬く屍になった。護衛していた駆逐艦が漂流者を救助したのですが、その僅かな
人数に私は入っていたのです。手足負傷。大分の病院で手当てを受けました。まさに
九死に一生です。そのときは若くもあり、傷を治したらすぐに船に戻り、亡き友のために
復讐しよう・・・と考えていました。軍属で死んでも本望だと。一時帰郷で帰った私の身体
に取りすがり、母は泣きました。二度と行ってくれるなってね。密かに手続きして待ちました
が、すでにもう、すぐに乗れる船がなかったのです。翌年3月、空襲で隣りの家まで焼けた
のですが、家族は無事でした。海軍省、陸軍省に籍を置いていた私は陸軍省で終戦の
報を聞きました。そして、長い長い歳月を生きることが出来、こうして、今日、お話できた
しだいです<<<<。
 日本庭園を巡りつつ、老紳士は語り、翔天亭(茶室)横の紅白梅の姿が滲む涙で
かすんで見えました。苗字だけを交わし、礼儀正しくお別れしたあとに、なぜか
「一期一会」のことばが浮かび、心残りを消せと勧めるように思いました。
 3月10日。東京大空襲の日から61年経ちました。

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コメント

shima様、梅見で偶然出逢った人の話を
お読みくださって嬉しいです。ほんの
僅かな時間の中での不思議な縁と思います。
きっといつまでも残る印象になるでしょう。

nekozizouさん
感動的な御話を読ませてもらいました。
一度命を失くしかけたこの人が、どのような人生を送ってきたのかなーと、思います。
いい話でした。
それと、梅の写真は綺麗に撮れていますね。

zuccaさん、ありがとう! ありのままを書き
込みました。もう少し詳しく知りたいと思った
節々も聞き返すゆとりはありませんでした。
海で死ねなかったのは残念・・だと言われて、
61年という年月の重みに打たれました。あなた
のお母上さまはあの空襲をご体験ですのね。戦争
を知らない世代の社会に「語り継ぎたい」思いの
深くあることに感無量。
 サンシュユのことは管理事務所に場所を教え
ましたから、すぐに走って行ったはずです。
不思議な「いのちの話」のきっかけになってくれたと思います。

読み終わって、胸にジーンと来るものがありました。
nekozizouさんの案内で御苑を散策できて、その方も 良い時間が過ごせたのではないでしょうか。
東京大空襲から61年。両親も大空襲の被害者。その時は本郷に住んでいて、後楽園の方へ逃げたそうですが、反対方向へ逃げた人達は火に巻かれていたかもしれない・・・と言っていました。家財は何も持ち出せず着の身着のままで、母の実家へ。私はまだこの世にいませんでしたが、大変な時代でしたね。

花の写真 とてもよく撮れています。綺麗!
お天気も良くて 花見には最適でしたね。

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